外資系保険会社への転職

前回からの続きです。

給料の少ないディーラーから、完全フルコミッションの外資系保険会社への転職。

 

少ない自信はあったけど厳しいことも承知していた。契約が沢山取れれば凄い人は億超える年収になる世界。取れなければ給料はほぼ出ない。言わば個人事業主ですな。

 

車もガソリン代もはたまた名刺すらも自分で買う。保険が売れれば保健契約書のケースも自腹。もちろんお客様との連絡する携帯も個人のものを使用します。

 

ただ、ここで本物の営業のスキルは身についたと思います。

 

入社してからは先ずは募集人資格の勉強!

 

同時期に毎日ロープレを実施。自身の商談の様子をビデオカメラで撮られ、自分自身でチェックします。それを何度も何度も繰り返し、自分自身が納得できるまで繰り返す。

 

営業の虎の巻みたいなものが沢山あり、アポイントの取り方から商談のクロージングまで事細かく成功パターンが記載されています。

 

商談がつまずくとその虎の巻を読み返し、どうすれば上手く成約に結びつくのかを真剣に学ぶことが出来ました。

 

仕事は最初は100人リストなるものを書かせられます。自分の知人、友人、前の会社での関係者など無理矢理100人リストを作らされた感じですね。

 

ただ、保険会社に勤めると友達が激減します(笑)

 

私が保険会社に勤めたことを知ると急に疎遠になります。友人だけでなく親戚ですらそうです。正月やお盆で集まりがあっても誰もよってきません(笑)

 

まぁ、覚悟はしてましたけど、凹みます。

 

ただ、そうは言っても契約は何処からかは取って来ないと収入は得られません。

 

自分自身で書いたリストは使いたく無いという事で学校にある意味飛び込み訪問。先生用の保険があったからなんですが・・。

 

先生とつく職業の人って社会人経験無い人が多くて変わりもんばっかりです(笑)

 

それでも学校に何件も何件も訪問して、先生一人一人に挨拶をしていきました。

 

そこから数人ではあったけど契約が取れました。

 

契約が取れる=見込み客が減る

 

これが生保の辛い所です。常に新しいお客様を探し続けなくてはなりません。

 

生保の1番難しいのは契約者からの紹介を得ることだと思います。

 

物を売るスキルは訓練されているので、ちゃんと話せる場所を確保さえ出来れば、90%以上の成約率だったと思います。

 

ただ中々紹介は得られないことが多いから見込み客はドンドン減っていく。

 

これが生保で働く人が辞めていく最大の理由でしょう。

 

見込み客が居なければ商談すらできない。契約が、無ければ給料が貰えない。

 

私の同期に給料の不安定のせいで離婚する人も沢山みてきました。

 

私も良い月は月収200万位あったり、悪かった月は10万円代だったりとジェットコースターの様な給料でした(笑)

 

年収で見れば1000万円位は超えていたと思いますが生活は全然楽にはなりませんでした。

 

2年ほど勤めて、流石に疲れた。

 

そこで今度はある程度固定給で高い給料を貰いたかったので就職エージェントを初めて使いました。

 

スカウトメールとかは保険会社が殆どでしたが保険業はもう関わりたくなかったんで違う業界で紹介してくれるようにエージェントに頼みました。

そして新たな転職先へ・・・。

 

と言う事でまた次回〜〜!

できちゃった婚と転職

どーもダメ人間です。

前回のブログで書いていたように、私生活は完全なダメ人間でしたが実は彼女はいました(笑)

 

彼女との出会いはありふれていますが友達からの紹介でした。本当は友達が狙っていたみたいだけど、そいつも別に彼女が出来たこともあり、私も前の彼女とクリスマスに分かれていましたのでたまたま、冗談半分で可愛い娘いたら紹介してくれって頼んでいました。

 

すると正月の元日夜の11時位にガストで待ち合わせという、ちょっと非常識とも取れる時間に呼んで貰いました(笑)

 

流石にこの時間じゃ無理だろうと思ってたけど

 

来るんか〜〜い⁉︎この子スゲ〜な(笑)

 

そんな事を思いながら名前とか歳とか教えて貰いました。

 

私の紹介は友達がダメ人間でエロ変態やけど良いやつみたいな感じで紹介してもらいました(笑)

 

まぁ、そんな感じでガストで朝5時くらいまで話して、電話番号やらメールの交換して一旦解散しました。

 

翌日に私から取り敢えず、まぁ、俺と付き合ってみない?って軽いのりでの告白してみたらあっさりオッケーと言う。軽いのか、仕事がら営業マンしてたから口がうまかったかはさておき、取り敢えず付き合うことになりました。

 

彼女の休日は土日で私は水曜日と正月、盆休み位でしたが毎日会っていました。

 

ここら辺はマメ人間だったかも(笑)

 

付き合って半年ほどで彼女が妊娠しました。

 

私にはまだこの頃借金を抱えていましたが、内緒にして結婚することになりました。

 

ただ、ディーラーの給料ではキツイこともあり、私の実家で住むことになったんですが・・。

 

やはり、嫁姑問題って起きるもんですな。

 

うちの母から何か言われたとか、料理の味がどうとかね。私が帰宅すると泣いていることが多かったきがしました。

 

臨月に入り嫁は実家に帰ることになるんですが、子供が生まれて10ヶ月位私の実家に戻りませんでした。

 

その間は私が彼女の実家に毎日仕事終わりに会いに行っていました。

 

嫁さんの親御さんと私の親との話し合いも何回もあり、結局は実家からでてアパートを借りることでひと段落しました。

 

ただ今の給料では借金を隠れて返しながら、家賃を捻出するのは無理がありました。

 

そこでディーラーの社長に給料アップの交渉をするも上げてくれた給料は固定給5000円アップだけでした。

 

仕事だけは真面目で実績で見れば全国8位でした。営業マンは15000人ほどいたとおもいますがなかなか成績は良かったです。

 

転職を考えてた矢先に会社に生命保険会社から私宛てに直接スカウトの電話がありました。

 

給料は上がるかも知れないけど、生命保険を売れる自信はとてもなかったんですが、いつまでたっても給料が上がらない会社に呆れていたこともあり、勢いで転職しました。

 

と言うことで続きはまた、今度〜〜!

私生活でのダメっぷり!

仕事に関しては自信と楽しさを見出してはいましたが、プライベートと言えばダメ人間のままでした。

 

仕事終わりには必ずと言っていいほどパチンコ三昧。当時はパチスロなんかも1回当たれば14000円位にはなるほどの博打性でした。

勝つ時も30万円とか勝てていたので、ハマりすぎて完全にギャンブル依存性になっていた。

 

そして、パチスロで勝ってはヘルスやソープにお金を費やす。

 

次第にパチスロでの投資額が増えていき、消費者金融にお金を借りてまでパチスロをするようになっていった。

 

お金を借りれば、返さなくてはいけません!その為にまた、パチスロに投資してしまう。

 

勝っては返して、負けたらお金を借りる生活をずっと繰り返していました。

 

気付けば借金額は250万ほどに膨れ上がっていました。普通の会社に勤めている人間に取って250万円の借金は返済に行き詰まるラインを超えたところです。

 

それでもパチスロは辞められなくて、ずっとパチスロをしていました。

 

借金の督促で知らない電話番号を取ると早く金を返せ〜!の電話。会社にも督促の電話があったこともありました。

 

この借金生活は5年以上繰り返していました。

 

このままじゃダメだって分かってはいたけど、もうどうにもならない所まで追い詰められた感はありました。決死の覚悟で親に相談するも、親も住宅ローンに追われていて、私に貸す余裕は無かったようです。

 

結局は弁護士に相談することになりました。

 

自己破産までにはならなかったけど、過払い金などで借金額を圧縮することは出来ました。

 

約300万円の借金は100万円位まで圧縮することは出来ました。

 

それで今後はギャンブルはしない条件で親友から100万円を借りて、消費者金融の借金を全て払いました。

 

そこからはディーラーの仕事をしつつ、隠れて夜バイトをやりながら親友に月5万円ずつ返済する事2年間、やっと無借金生活に戻ることが出来ました。

 

この頃の睡眠時間は夜はバイトなどで3時間くらいしか寝ることは無かったですが、まだ若かったからなんとか耐える事が出来たかも知れません。

 

ギャンブル依存というのは本当に怖いです。

 

頭では分かっていてもどうする事もできなかった。一種の麻薬みたいなもんですね。

 

ギャンブルなどの借金は絶対してはいけないと心に決めて、ダメ人間は改善されていきました。

 

次回は転職、結婚とまた人生が変わってきます。ではまた〜!

昔の遊び、今の遊び。

今週のお題「何して遊んだ?」

私が小学生の頃の遊びと言えば、田んぼで野球やキックベースボールとほとんどが外での遊びだったと思います。

コマ回ししたり、凧を上げたりとマジ田舎の遊びを満喫していた。


何処かの空き地に秘密基地と言って勝手にオモチャとかを持って遊びに行ったりがメインだった。


小学生の高学年頃にファミコンPCエンジンなどの家庭用ゲーム機がブームになって自分もそれなりに遊んだけど、友達と外で遊ぶ方が断然楽しいと感じていたかな。


今、私にはこどもが3人居ますが、1歳くらいからiPadをいじってゲームをしています。


我が家は子供達の溜まり場のようになっているんですがそれぞれが携帯型のゲーム機を持ち込んで静かにゲームしていることがほとんどです。

わざわざ、集まる意味なくね?

と思いながら子供達の遊ぶ姿をみています。


まぁ、昔と違って空き地がある訳でも無く、外で遊ぶ事が減ったのは確実だなぁ。



ディーラー営業での成長!

私は約4年ほどこのディーラーにて営業をしていました。

 

1年位経った頃にはひと月の車の販売台数は安定して6台ほど売れるようになっていた。

 

営業のタイプには、2タイプに分かれます。

1.狩人タイプ…瞬時に営業をかけて刈り取るタイプ

2.農耕タイプ…ルート営業タイプでは生きるかなってタイプ。ジックリとお客様と向き合い、自分もお客様との人間関係構築を作っていく人物です。

 

私の場合は1.狩人タイプです。過去の営業経験上、私は狩人タイプの人間です。

 

なので、私の商談の一連の流れの成功パターンを紹介しますね。

 

車の購入を考えているお客様が、来店されますよね?すかさず、アプローチと名刺を渡します。

暫くは自由に車を見てもらいます。お客様の動向を見ながら、適宜に車の性能の説明を実車を触りながらします。

 

その後、カタログをお渡しする為に席に付かせ、お客様の情報を仕入れる為のアンケートを書いて貰う。

 

さて、ここからが本番というか、狩人タイプの人間の営業方法を一部公開します。

 

先ずは興味のある車種の選定をしていく、スポーツタイプなのかミニバンなのか軽自動車なのかハイブリッド系なんかを聞き出しながら、あくまでも営業マン側がリードしていくことが大切です。

 

車種を決めたら、私の場合は好きな色を聞きます。

まぁ、ある程度の概要が決まるとすぐ様に見積もりの提示をします。

 

ここではお客様の反応が見たいがために作成している。定価の金額に対しての反応であったりオプション品の価格であったり、ローンで買うつもりなのか現金で買うつもりなのかが見て取れる理由ですね。

 

お客様も見積もりを出して貰うと、真剣に話しを聞いてくるようになります。

ここで重要なことは話しのメインを値引き額持って行かないことが大切です。値引き合戦になったところで大体長期戦になる。相見積もりをとるお客様も、沢山います。雑誌で値引き額を、調べる方も居ます。

 

値引きは最後のクロージングでこれで決めて下さいと言う以外はノータッチが基本です。

 

では、私がお客様にさせていたたった一つのこと・・それは想像させる事です。

 

どう言うことかと言うと、この車でレストランに家族で出かけてる様子を想像して見て下さい等をさせていました。それもより具体的になるように!色は何色ですか?車を運転していて、どんな気分ですか?燃費もいいですよね?

レストランの窓から見えるその車はカッコいいですか?などの質問と誘導質問を織り交ぜながら明確な想像をさせていくと、お客様は不思議ともうその車を購入した気分になってきています。

そこで再度見積もりの詳細やローンなのか現金購入なのか?の話しに戻して行きます。この時点での見積もり作成は購入するのが前提の様に進めて行きます。

 

そして、軽く値引きを見せた見積もり書を作成して提示する。

そして軽めのテストクロージングをして行きます。ある意味ここで、お客様の本心がやっと聞くことが出来ます。何処かに不安があるのか、納得できていない部分がどこなのかが知ることが出来ます。それさえ分かれば、不安な部分を解決してあげれば良いので、もう少しです。

 

問題を解決してあげた時点で素早く契約書を提示します。内容を確認しながら、敢えて手書きの契約書を作成していきます。

お客様によってはそのまま契約に流されていくひとも一定数います。

 

実際は最後は値引きで揉めることが多いですね。なので最初は少なめの値引きにしておくことが最低条件になります。

 

最終クロージングにおいてはある程度の値引き額で押しながら、相手にあと幾らか引いたらこの場で買うと言わせるの重要です。

 

それが適正の範囲内でも店長や社長などに相談する振りも大切です。

 

心理学で言うと第三者の影響力と言うんですが以外と効果的でした。

 

お客様も店長まででてきたら真剣になりますからね。ここで決まるか決まらないかが左右されます。

 

私の場合はこんな手法を取りながら車の販売をしていました。

 

なので、土日にきたお客様をその日のうちに成約していったのでコンスタントに6台ほどは売れるように、なってダメ人間をだんだんと卒業していくように仕事面ではなっていきました。

が、私生活では、やっぱりというか、、、(笑)

続きはまた今度〜!

自動車ディーラーへの転職

過去2回ほど給料ばかりに目をやり、職務内容や将来のことなどぶっちゃけ何も考えてなかった。ダメダメな人間でした。

 

そこで少しはちゃんと考えたつもりで大手のディーラーへと就職することとなります。

 

だか、今回は給料で悩むこととなる。

 

過去2回の会社はブラックではあるけれど給料はかなり良かったと思う。

 

ディーラーって給料少ないんです(涙)

 

過去すでに2回の転職をしている、しかも二十代前半で!

 

最初の基本給の提示額はなんと12万円。いままでの何分の一やねん?って思いましたが、実家からも近くて営業車も普段も使っていいし、車を売ればインセンティブ入るから大丈夫かなって思い就職決定しました。

 

H車のディーラーはプロパーなんでディーラー毎に社長がいます。だから、給料はその人の胸三寸で決まります。

 

っということで最初の頃は車の洗車や先輩社員の納車のお手伝いで一ヶ月ほど過ごしました。その間にくるまのカタログなんかを覚えていました。

 

営業研修らしいものは何もなかったので全てオリジナルだったの初めは車を全然売ることが出来ませんでした。

過去2回も営業職だったので余裕かなぁって思っていたけど高額商品だけあってなかなか厳しかったことが今でも感じでいます。

 

それからはダメ人間ではあったけど負けん気は強かったので色々と試行錯誤を繰り返しながら日々自分なりに考えて、商談を繰り返しました。

初めて、車が売れたのは入社三ヶ月でした。

 

感じの良いお客さんで名前も売った車種も全て覚えています。

 

ただ、ここでも重大な失敗をしてしまいました。車も在庫を見ながら型番で発注するんですが、お客様が望んでいた仕様じゃない物を頼んでしまったのです(涙)

気付いたのは引き渡しの3日前。

既にどうしようもない状況。

 

「正直に謝るしかないな」、もし許して貰えなかったら自分で買い取るしかないかなと、覚悟しながら平謝り!

 

最初はお客様もお怒りになって「この仕様なら要らない」って言われていたんですが、私が新人である事と精一杯正直に事前に謝りに行った事で無事に許して頂き、納車出来ました。

 

最初に売った車のトラブルなどのお陰でダメ人間でいい加減な私は少しずつ営業マンとして覚醒していきます。

 

続きはまた今度〜〜!

ブラック企業へ就職2

飛び込み訪問営業から次に、就職した営業の仕事内容は、健康器具販売でした。

販売方法はスーパーマーケットなどの一角をひと月借りて、スーパー利用者に対して無料で健康器具を試して頂いてなるべく継続的に健康器具を利用してもらいます。そして最終日の1週間前位からクロージング(買って貰うように促す)を始めます。その器具の販売価格は50万円から80万円ほどします。

健康器具の効果は確かに有ったと思います。

私も会社から購入する様に言われ買ってしまいました。

私がこの会社で嫌だったことがひと月休みが全く無いことと、健康器具販売ということが怪しくてなんか嫌だった(笑)

友達にも何の仕事してるの?って聞かれと堂々と答えることが恥ずかしいとも感じて居ました。

ただ、給料は販売台数に応じてインセンティブが入るので70万円位は貰って居ました。

 

この頃から自分は営業の仕事は、大変だけど自分に向いてているかも、しれないと感じ始めてました。

ただ、休みが無いことと、売らないと給料がロクに貰えないストレスで「いぼ痔」になってしまいました。

ある日、営業先でいぼ痔が破裂し、ケツから流血して病院で緊急手術になりました。

3日ほど入院し、1週間の自宅療法をしました。

いぼ痔になった原因はストレスと長時間の車の運転の様でした。

勤めていた会社からも不健康な、人間が健康器具を、売ってもイメージが悪いと言うこともあり、半ば解雇されたような感じで辞めました。

 

次に見つけた就職先は車販売ディーラーのH社。その話しは次回にします。