後輩に上司に飛ばされたダメ人間

という事で後輩に飛ばされた私は辺鄙なエリアに飛ばされました。超ど田舎でエリアは西日本でも一二を争う位広い所でした。

 

ふむ、まぁこっちもやり易いからまいっか(笑)的な感じでしたよ。

 

かなり前からそうなんですか私の担当エリアの前任者は仕事しなくて首になった人の後ばかりでした。まともなエリアになって引き渡し、その後に担当する人は出世するという伝説が出来上がる程です。

 

ちょうど成果を刈り取り始めた所で私はいつも移動させられ、また荒れたエリアに飛ばされ、後任が出世していく・・。

 

まぁ、会社からはある意味便利屋さんだったんだろうなと思います。

 

会社の評価は高めだったと思うけど出世しないタイプ。

 

仕事出来るけど出世しない人っていますよね?

まぁ、そんなタイプです。はい(笑)

 

ずっとそんな感じなんで、自分で諦めてた部分もあったのも事実。

 

飛ばされた先の上司は凄く良い人でしっかり仕事を見てくれる人で出世させて上げたいとハッキリ言ってくれる人物でした。

私も期待に応えようと思えた上司でした。

 

基本的に単純な人間なんで本気で出世する為の仕事をこなして行きました。

 

自身の課せられたKPIはモチロン頑張ってトップの成果を上げ、他者貢献として、チームのリーダー業務も引き受け、会議でのファシリテーションとして会議の運営も行いました。

無事にチームも全国でもトップクラスの成果を上げることも出来ました。

 

チーム運営の楽しさも歯痒さも味わいながら自分の成長も感じることが出来た。凄く充実した一年を送ることが出来ました。

 

全国会議のキックオフ会議でも1800人の前で壇上に上がり、営業手法などの講義的なものも任されるようになったんですが・・・。

 

出世したのは直属の上司だけでした(涙)

 

そのポジションに来たのは本社から来た年下の上司でした。

 

ふぅ、もう疲れたよパトラッシュ・・・。

 

マジ、そんな感じ。

 

暫くして、会社の組織変更がありました。

そして、また街中の担当エリアを任せられました。はい、また前任者は首になったエリアです(笑)

 

しかもエリアは今までの倍の件数の顧客を抱える事になりました。

曲者が多いエリアで前任者仕事してないから、データを整備したら全国で最下位のエリアでした。

なんだろう、曲者相手の商談をしながら仕事をこなしても終わらない。

成果も出せる自信が湧いてこない。

 

先の見えない仕事量。街中特有の渋滞。眠る暇すら無くなりました。

 

極度の緊張感でのストレス、渋滞にハマるストレス、終わらない仕事のストレス。

 

そして、身体とメンタルに不調をきたしだしました。

最初は朝の身支度時に必ず発熱する様になりました。

家に帰って来ると熱は下がる具合でした。

 

その症状とプラスして、睡眠障害も出る様になり、熟睡出来なくなり、朝方には目が覚めてしまう。

 

そして、商談先に行こうとすると強烈な胃痛も発症しました。

 

今度は人に会うことが億劫になってき始めました。

 

家でも喋ることも出来なくなってしまいました。

 

それが約1か月ほど続いてから初めて心療内科を受診することになりました。

 

診断名は【適応障害

 

ストレスチェック上は完全に鬱状態とのことでしたがまだ、死にたいとか錯覚とかは見なかったので、適応障害と言う診断名になりました。

 

そして会社は休職となりました。

 

 

と言う事で今回はここまで。

ではまた〜〜!

某大手外資系企業での職務

さて、前回からの続きですが・・・めっちゃブログをサボってました(笑)

中々、ダメ人間は直りません。

ダメ人間ブログなんでお許し下さいまし。

 

前回の続きで職務内容の変化というところまで書いたと思います。

 

大きく変わった内容としましては、発注数量勝負って感じに変わりました。

まぁ、人参ぶら下げられて【何が何でも発注数量取ってこい!】みたいな感じです。

 

営業マン1300人が一生懸命に店舗に対して絶対売れないだろうという数量の提案をしていく異様な状態になっていき、それが常態化していきました。

 

私がやっていた事と言えば仲の良い店舗に無理言って取って貰うスタイルでした。

元々馬鹿げた提案数なんで他の店舗でマイナスになるのを見越して仲良い店舗に沢山発注してもらいまくりました(笑)

 

新製品が出る度に決まった店舗に無理な発注を頼み続けた・・・。

 

いつの間にか全国で1番の発注数量と1番の返品数量の二冠を達成(笑)

 

そりゃーそんだけ取らせたら返品も一杯でるわい(笑)

 

上司からはあんまりやり過ぎるな!って釘は刺されるわ、もっと上の人からも目をつけられるわで大変でした(笑)

 

っていうかお前らが沢山仕入れさせろって煽ったんでしょうが\\\٩(๑`^´๑)۶////

 

それから暫くたった時に大量発注はやめましょうだってさ(笑)

 

店舗の本部からクレームが来たらしい。

 

まぁ、明らかに売れない量を発注させてますからね。

 

それから、暫くは適正発注数で提案するように、強い圧力がかかり比較的に楽な営業になりましたが・・ほとぼりが冷めるとまた、大量発注しろだって(笑)

 

ったく、何がやりたいんだかわからんわ!

 

そんな感じでチョクチョク方針の変更が有りましたが、言うても他の会社に比べれば楽かなって思い続けていました。

 

そして、某特殊な新製品の投入により、組織が変化して行くのですが、それは今は爆発的な大ヒットしているとある機器です。

 

導入時の先行販売地区担当だった私は今までと全く違うスタイルの営業をする事となる。

 

今まではと言えばルート営業で既存客を相手に関係構築をして行く営業から新規飛び込み営業をしながらお客様に直販まで行うと言う具合に変化して行きました。

 

最初の導入時は何の商品も同じですが全く売れませんでした。

その月のノルマは100台!

1週間で私が販売したのは10台(笑)拉致があかん・・・。

と言う事で残り90台を一旦買い込み行商の旅に出る(笑)

 

今考えると何をそこまで一生懸命する必要があったかは分からないけど馬鹿なんで勢いでやっちゃった感じですかね。

多少自分が損してもいいやと思いながら定価を下げて個人売買しまくりました。

 

ふと、あるタイミングから紹介してくれる人がチラホラ出て来ました。

 

とある人は私に50人以上紹介してもらい、気付けば100台は達成してました。

 

そこからは私はただ、紹介して貰ったとこに行って売るだけだったので自分で営業しなくてもどんどん売れる様になり、気付けばNo1の販売数になってた。

 

俺ってスゲ〜かもって思ってました(笑)

 

しかし、出世してくのは私が教えていた後輩ばかり出世して行く(笑)

 

あの〜〜わたしは?っていつもの感じていました。出世欲はあまりなかったからアピール下手だったけど後輩や同期のメンバーは次から次へと出世していくのを見てるとヤッパリ凹みますよね。

 

そして、遂に後輩が私の直属の上司になる日が来ましたよ(笑)

 

お互いにやり難い。

 

2ヶ月後には私が飛ばされましたけどね(笑)

 

疲れたので今回はここまで〜。

ではまた、気が向いたら投稿しまーす。

某大手外資系メーカーに就職

生命保険会社から無事脱出出来た私は今度は外資系のメーカーに就職が決まりました。

 

何だろう?

 

地獄のような日々を送っていた生命保険会社から転職して来た私にとって新しい会社の楽さは!

 

研修では東京に1週間ほど泊りがけで基本的知識を学ぶ事で終了。

 

その後は担当エリアに配属され、先輩社員の方々と毎日同行して、仕事の大体の流れを教えて貰いました。

 

先輩も上司もめっちゃ優しい人ばっかりだ‼︎

 

やはり大手企業でルート営業だとこんなに違うのかと感激すらしました。

 

小売店を回ってポスター貼らせてもらったりするだけでこんなに給料くれるのか!って思いました。

 

今までは嫌な顔されるお客さんを説得させてモノを売ってきたのに・・・ここは、天国か?と思うくらいに楽チン。

 

そう、最初の1年目位までは・・・。

 

外資系の社長はコロコロ変わります。役員クラスも同じようによく変わります。

 

その都度、方針が変更され、職務内容も大幅に変わってきます。

 

社内のプロセスやPCや携帯もコロコロと変わります。

 

まぁ、覚えるのが凄い面倒なだけですけどね。

 

業務は流通商材ということもあり、新製品の導入以外では営業マンのチカラは計れないから担当エリアの良し悪しで評価も決まるところが大きいのと上司から気に入られるかどうかに全てが、掛かっているといっても過言では無いってのが納得が出来ないことも多々ありますが。

 

それでも過去の会社に比べれ、遥かにマシ。

 

就業スタイルも直行直帰だったので凄い自由だったのでよく、寝坊してましたが(笑)

 

ダメ人間にとって最高の居場所を見つけた感じです(笑)

 

ダメ人間ではあったけど仕事は要領良くこなすので帰りも早かったので家族も凄く喜んでました。

 

毎月、決まった金額の給料が振り込まれる喜びは心が癒されます。

 

年間の評価によって給料の昇級率は違うけど毎年必ず給料のベースアップも有りました。

 

仕事も勿論難しい場面も多々ありましたが安心して働けていたので私自身リラックスして商談できることもあり、評価は中々良かったと思います。

 

この会社に入社してから子供が3人になりました(笑)

3人目は酔っ払った勢いでできましたけど(笑)

 

入社して3年程経った頃から会社の方針が徐々に変わって来ました。

 

いままでは商品の取扱い率が評価指標だったのがプラスして発注数量も求めて来ました。

それが適正で、あればいいのですが、はっきり言って無茶振りの様な数字を追われる様になって行きました。

 

それから・・・。

 

長くなりそうなんで今回は、ここまで〜!

んじゃまた今度〜!

転職活動にて

さて、外資系保険会社の勤務に疲れ果てた私は取り敢えず保険会社に席をを起きながら転職活動をしていました。

 

転職エージェントと何回か面談をしたり、職務経歴書を修正したりと活動していました。

 

希望職種はある程度給料がよくて安心して働ける企業とエージェントに伝えておきました。

 

すると案件としては製薬会社のMRやらコンビニのスーパーバイザーやら外資系のメーカーなど沢山紹介してもらいました。

 

1番最初に面接したのは製薬会社のMRで3回面談がありました。製薬会社の面接方は圧迫面接が基本みたいでかなり、パーソナルな所も否定的に言われ、イラっとする面談でした。

 

面談がおわると、面接官は普通です。MRは病院の先生が相手になるのでストレス耐性を見るためにワザと圧迫面接しているらしい。

 

実際、先生とつく職業の人は変な人が多いようです。

社会人経験無い人が多いので社会の一般常識が無い人が多いらしい(笑)

 

また、同時期に違う製薬会社の面接を受けていましたが、そちらはMRではなく薬局とかで営業していく部隊で、ルート営業でした。製薬会社世界ナンバーワンで1番入社したかった企業でしたが無事あっさりと落とされました(笑)

 

今度は職種は全く違うけど、とある業界の世界ナンバーワンの業界に面接することになりました。ただ、業界的には衰退するかもと思い、あまりやる気の無い面接をしてたと思いますが何故か一次面接は合格。

二次面接は前職の営業スキルを見るためになのか、面接官が私に保険を売ってみて下さいという無茶振り。

まぁ、保険は売り慣れていたので面接官はそんな保険だったら入りますって無事口説けたこともあり、面接は合格してしまいました。

 

そして、私が選んだ企業は・・・。

 

製薬会社では無い方の企業を選びました。

 

理由は製薬会社は基本的に転勤が頻繁にあるってことで子供が小さいし、嫁さんにも迷惑掛けるかも、知れないと思って辞退しました。

 

給料は年収で100万円くらいは製薬会社のほうが良かったんですけどねー。

 

入社を決めた方は基本的に自宅から通える範囲無いでの移動はあるけど転居を伴う転勤はあまりないから安心して下さいと言われ、そちらに決めました。

 

回答期限のギリギリまで迷いましたけどね。

 

まぁ、なんとか次の職場を決めることが出来ました!

 

面接を受けてる間は保険の営業活動はしていなかったので殆ど収入はなかったので日雇いのバイトしたり、夜中のボーリング場でスタッフしたりとまぁ、なんでもやって(笑)

 

金の時の夫婦関係は最悪でした。

 

転職活動にもなんだかんだとお金掛かります。面接を受けるために東京に飛行機で何回もいったりしてました。旅費を負担してくれる所も有りましたけど、中々ね・・・。

 

と言う事で無事に新しい企業に就職することが出来ました。

 

次回はその外資系メーカーでのことを書いていきたいと思います。

 

それではまた〜!

外資系保険会社への転職

前回からの続きです。

給料の少ないディーラーから、完全フルコミッションの外資系保険会社への転職。

 

少ない自信はあったけど厳しいことも承知していた。契約が沢山取れれば凄い人は億超える年収になる世界。取れなければ給料はほぼ出ない。言わば個人事業主ですな。

 

車もガソリン代もはたまた名刺すらも自分で買う。保険が売れれば保健契約書のケースも自腹。もちろんお客様との連絡する携帯も個人のものを使用します。

 

ただ、ここで本物の営業のスキルは身についたと思います。

 

入社してからは先ずは募集人資格の勉強!

 

同時期に毎日ロープレを実施。自身の商談の様子をビデオカメラで撮られ、自分自身でチェックします。それを何度も何度も繰り返し、自分自身が納得できるまで繰り返す。

 

営業の虎の巻みたいなものが沢山あり、アポイントの取り方から商談のクロージングまで事細かく成功パターンが記載されています。

 

商談がつまずくとその虎の巻を読み返し、どうすれば上手く成約に結びつくのかを真剣に学ぶことが出来ました。

 

仕事は最初は100人リストなるものを書かせられます。自分の知人、友人、前の会社での関係者など無理矢理100人リストを作らされた感じですね。

 

ただ、保険会社に勤めると友達が激減します(笑)

 

私が保険会社に勤めたことを知ると急に疎遠になります。友人だけでなく親戚ですらそうです。正月やお盆で集まりがあっても誰もよってきません(笑)

 

まぁ、覚悟はしてましたけど、凹みます。

 

ただ、そうは言っても契約は何処からかは取って来ないと収入は得られません。

 

自分自身で書いたリストは使いたく無いという事で学校にある意味飛び込み訪問。先生用の保険があったからなんですが・・。

 

先生とつく職業の人って社会人経験無い人が多くて変わりもんばっかりです(笑)

 

それでも学校に何件も何件も訪問して、先生一人一人に挨拶をしていきました。

 

そこから数人ではあったけど契約が取れました。

 

契約が取れる=見込み客が減る

 

これが生保の辛い所です。常に新しいお客様を探し続けなくてはなりません。

 

生保の1番難しいのは契約者からの紹介を得ることだと思います。

 

物を売るスキルは訓練されているので、ちゃんと話せる場所を確保さえ出来れば、90%以上の成約率だったと思います。

 

ただ中々紹介は得られないことが多いから見込み客はドンドン減っていく。

 

これが生保で働く人が辞めていく最大の理由でしょう。

 

見込み客が居なければ商談すらできない。契約が、無ければ給料が貰えない。

 

私の同期に給料の不安定のせいで離婚する人も沢山みてきました。

 

私も良い月は月収200万位あったり、悪かった月は10万円代だったりとジェットコースターの様な給料でした(笑)

 

年収で見れば1000万円位は超えていたと思いますが生活は全然楽にはなりませんでした。

 

2年ほど勤めて、流石に疲れた。

 

そこで今度はある程度固定給で高い給料を貰いたかったので就職エージェントを初めて使いました。

 

スカウトメールとかは保険会社が殆どでしたが保険業はもう関わりたくなかったんで違う業界で紹介してくれるようにエージェントに頼みました。

そして新たな転職先へ・・・。

 

と言う事でまた次回〜〜!

できちゃった婚と転職

どーもダメ人間です。

前回のブログで書いていたように、私生活は完全なダメ人間でしたが実は彼女はいました(笑)

 

彼女との出会いはありふれていますが友達からの紹介でした。本当は友達が狙っていたみたいだけど、そいつも別に彼女が出来たこともあり、私も前の彼女とクリスマスに分かれていましたのでたまたま、冗談半分で可愛い娘いたら紹介してくれって頼んでいました。

 

すると正月の元日夜の11時位にガストで待ち合わせという、ちょっと非常識とも取れる時間に呼んで貰いました(笑)

 

流石にこの時間じゃ無理だろうと思ってたけど

 

来るんか〜〜い⁉︎この子スゲ〜な(笑)

 

そんな事を思いながら名前とか歳とか教えて貰いました。

 

私の紹介は友達がダメ人間でエロ変態やけど良いやつみたいな感じで紹介してもらいました(笑)

 

まぁ、そんな感じでガストで朝5時くらいまで話して、電話番号やらメールの交換して一旦解散しました。

 

翌日に私から取り敢えず、まぁ、俺と付き合ってみない?って軽いのりでの告白してみたらあっさりオッケーと言う。軽いのか、仕事がら営業マンしてたから口がうまかったかはさておき、取り敢えず付き合うことになりました。

 

彼女の休日は土日で私は水曜日と正月、盆休み位でしたが毎日会っていました。

 

ここら辺はマメ人間だったかも(笑)

 

付き合って半年ほどで彼女が妊娠しました。

 

私にはまだこの頃借金を抱えていましたが、内緒にして結婚することになりました。

 

ただ、ディーラーの給料ではキツイこともあり、私の実家で住むことになったんですが・・。

 

やはり、嫁姑問題って起きるもんですな。

 

うちの母から何か言われたとか、料理の味がどうとかね。私が帰宅すると泣いていることが多かったきがしました。

 

臨月に入り嫁は実家に帰ることになるんですが、子供が生まれて10ヶ月位私の実家に戻りませんでした。

 

その間は私が彼女の実家に毎日仕事終わりに会いに行っていました。

 

嫁さんの親御さんと私の親との話し合いも何回もあり、結局は実家からでてアパートを借りることでひと段落しました。

 

ただ今の給料では借金を隠れて返しながら、家賃を捻出するのは無理がありました。

 

そこでディーラーの社長に給料アップの交渉をするも上げてくれた給料は固定給5000円アップだけでした。

 

仕事だけは真面目で実績で見れば全国8位でした。営業マンは15000人ほどいたとおもいますがなかなか成績は良かったです。

 

転職を考えてた矢先に会社に生命保険会社から私宛てに直接スカウトの電話がありました。

 

給料は上がるかも知れないけど、生命保険を売れる自信はとてもなかったんですが、いつまでたっても給料が上がらない会社に呆れていたこともあり、勢いで転職しました。

 

と言うことで続きはまた、今度〜〜!

私生活でのダメっぷり!

仕事に関しては自信と楽しさを見出してはいましたが、プライベートと言えばダメ人間のままでした。

 

仕事終わりには必ずと言っていいほどパチンコ三昧。当時はパチスロなんかも1回当たれば14000円位にはなるほどの博打性でした。

勝つ時も30万円とか勝てていたので、ハマりすぎて完全にギャンブル依存性になっていた。

 

そして、パチスロで勝ってはヘルスやソープにお金を費やす。

 

次第にパチスロでの投資額が増えていき、消費者金融にお金を借りてまでパチスロをするようになっていった。

 

お金を借りれば、返さなくてはいけません!その為にまた、パチスロに投資してしまう。

 

勝っては返して、負けたらお金を借りる生活をずっと繰り返していました。

 

気付けば借金額は250万ほどに膨れ上がっていました。普通の会社に勤めている人間に取って250万円の借金は返済に行き詰まるラインを超えたところです。

 

それでもパチスロは辞められなくて、ずっとパチスロをしていました。

 

借金の督促で知らない電話番号を取ると早く金を返せ〜!の電話。会社にも督促の電話があったこともありました。

 

この借金生活は5年以上繰り返していました。

 

このままじゃダメだって分かってはいたけど、もうどうにもならない所まで追い詰められた感はありました。決死の覚悟で親に相談するも、親も住宅ローンに追われていて、私に貸す余裕は無かったようです。

 

結局は弁護士に相談することになりました。

 

自己破産までにはならなかったけど、過払い金などで借金額を圧縮することは出来ました。

 

約300万円の借金は100万円位まで圧縮することは出来ました。

 

それで今後はギャンブルはしない条件で親友から100万円を借りて、消費者金融の借金を全て払いました。

 

そこからはディーラーの仕事をしつつ、隠れて夜バイトをやりながら親友に月5万円ずつ返済する事2年間、やっと無借金生活に戻ることが出来ました。

 

この頃の睡眠時間は夜はバイトなどで3時間くらいしか寝ることは無かったですが、まだ若かったからなんとか耐える事が出来たかも知れません。

 

ギャンブル依存というのは本当に怖いです。

 

頭では分かっていてもどうする事もできなかった。一種の麻薬みたいなもんですね。

 

ギャンブルなどの借金は絶対してはいけないと心に決めて、ダメ人間は改善されていきました。

 

次回は転職、結婚とまた人生が変わってきます。ではまた〜!