ヒプノセラピーとハンドセラピー受けて来た
どーもダメ人間です。
今回は気分も落ち気味であったことと、知り合いと言うか先輩も適応障害になって会社を休職してしまったから一度会って様子を探ってみたかったのでヒプノセラピーとハンドセラピーのセミナーに誘って一緒に行って来ました。
そのヒプノセラピーとハンドセラピーの講師は実は今在籍はしている会社の元上司です(笑)
その上司の方は昨年に会社を辞めて、個人事業主としてカウンセラーしたり、資格学校の講師として活躍されています。
知り合いがするセミナーなんで、適応障害になった先輩も良いかもって思い2人で受講してきました。
ヒプノセラピーとハンドセラピーの体験セミナーは全員で10人程受講生がいました。
ヒプノセラピー?って何?と思われるかたのために軽く説明しておきますと【催眠療法】の一種でリラックス状態を作り出してストレスの軽減を行なったりするものです。
目を閉じて緩やかな音楽を聴きながら、講師の言葉に合わせて内なる自分を見つめるといった感じです。
私は2回程受けたこと有りますがヒプノセラピーは本当に癒されますよ!
自分の心のモヤモヤした感じなんかがスーッと改善されて心が軽くなります。
今回初めて受けた先輩も心が軽くなって良かったて言ってました。
なんか【催眠療法】とか聞くと怪しげな印象を受ける方も多いのですが、今流行ってるマインドフルネスと同じようなものです。
次はハンドセラピーとは?ってことですがハンドセラピーは簡単に言えば手のツボを刺激したりマッサージしたりする事です。
足裏マッサージのように手の平や手の甲にもツボがあってそれらを刺激する事によって血流を促し悪い部分の改善を図る技法です。
私も今回初めてハンドセラピーを受けたのですが左手だけ施術して貰ったんですが、施術を受けた左手はもの凄く軽く感じました。受けてない右手と比べるとはっきり分かるくらいの差を感じることが出来ます。
手を押したり引っ張ったりしたどの部分が痛むかで今、身体は何処に負担が掛かってるかも分かるようでした。
私が痛んだ所は胃と腰、生殖器(笑)
確かに最近生殖器は活躍が少ないですからね(笑)
そんな感じで90分感があっと言う間に終わりました。
それからは講師と先輩と私3人でランチを食べに行きました。この3人で同じテーブルで食事は初めてでしたが、楽しくて3時間ほど会話出来ました。
適応障害になりたての先輩は多少疲れた感じがでてきたので解散しましたが初めての経験させて貰って良かったって言って頂いたから私的にも良かったなと思いました。
適応障害でも鬱病でもそうですが理解者が必要です。自分が感じている苦しさを知っている人に対しては素直に自分の気持ちを吐き出せるからそう言った方とたまに会って、溜まっていることを吐き出す場所は大切です。
私もそれで、何度か救われたから・・・。
て言うことで今回はここまで〜!
友人からの紹介
最近胃腸が痛いダメ人間です。
今日は午前中に学習塾を経営している友達とサイクリングして来ました。
サイクリングと言っても坂をひたすら漕いで汗ダクダクになりながら無心になってメンタルを鍛えると言う意味不明なサイクリングですが(笑)
週に2、3回やってます。
山の上にある公園を目指してますが、最初に挑戦した距離と比べると2倍くらいは行けるようになりました(笑)
ただ、メッチャ疲れるからその後あまり動けなくなるのが難点ですが・・。
まぁ、そんな感じで午前中は過ごしてました。
午後からは友人から仕事の件で紹介したい人Aがいるって事で話しを聞きました。
Aさんは最近起業したかたでシステムの開発なんかをしている方でした。
それで私にふられた仕事の案件とは開発中のシステムの新規開拓営業です。
会社に入社とかではなく、私が個人代理店として受けてほしいと言う内容でした。
期待しながら、システムの内容や販売手数料など話しを一通り聞きましたが、一旦保留にしました。
売れる自信がないと言うか、販売金額が高い割には大手の企業が無料で提供しているシステムに負けてのが明白だったのと、販売手数料も一次代理店のわりには利幅が少ない。
システム販売の場合、一回の商談で終わることはないし、最短でも3回以上しないといけない。ちょっと割が悪いと言うか下手したら儲けなしになりそうな感じですかね。
Aさんの会社も立ち上げたばかりのベンチャー企業でお金が無いのも分かりますけどね。
そうはいっても私もずっとダメ人間のままでも行けないのは分かってる。選べる身分でも無いんですけどね。
もう少し若い時に色んな分野で経験積んでたら良かったかなぁって、最近は特に思います。
これは友人も言っていたんですが得意分野が3つ身につけると年収は跳ね上がるよ!ってさ。
確かに友人はプログラムを組むことも、プロジェクトマネジャーも新規事業の立ち上げも、コンサルタントも出来るから、独立したら年収も倍以上に跳ね上がってます。
私はと言うと営業職に特化し過ぎて、市場価値が低いことを痛感しています。
確かに営業職は何処の会社にも存在はしているけど基本給は低いです。
転職サイトを見ても怪しいブラック企業がいつも載っているだけだし、転職したら確実に給料下がるのは目に見えてます。
今になって未経験の仕事をしたくても履歴書で弾かれます(笑)
大手企業に居てもスキルは特化し過ぎて使い物になら無い人が多いのも得意な領域が少ないことが原因でしょうね。
本当に若い頃には買ってでも苦労しろって言葉が身にしみます。
と言うことで今回はここまで〜!
ではまた〜。
友達の紹介と言うこともあって無下には出来ないから前向きには考えますと伝えて、終了。
起業しようかなぁ
前回までの話の続きですが、取り敢えずメンタルヘルスマネジメントと言う資格を取得しました。
適応障害になって復職も考えてましたが、なんか違うかなって考え始めました。
適応障害の原因が会社にあるので今の会社に戻ったところでまた、再発しそうだし。
かと言って転職しようとしてもアラフォーで碌な仕事はなかなか無いですよね。
そこで思ったことが【起業】すると言う選択肢が出て来た。
ただリスクは高いよね。家族いるし、子供も3人いるし。
同時期に友人は会社を辞めようとしている奴がいて、そいつと起業しようと思いました。
彼は私と違って非常に優秀で、私の不得意な分野のITコンサルタントやプロジェクトマネジャー等の経験もある為、一緒に起業してくれると上手く行きそうだなぁって思いました。
最初は一緒になってビジネススクール的な起業を考えてました。
私は営業のスキルはあると思ったんで営業のスキルを教える、彼はITやロジカルシンキング等を教える。足りない分野は知り合いに来てもらう様にすればいけるかなと思っていました。
まぁ、今でも私はビジネススクール的な起業がしたいとは、考えていますが・・・。
ただ、彼は優秀な人材なため色んなところから誘われるんです。そして、段々考え方の違いが出て来ました。まぁ、私がコンビでは不服になってきたんでしょうね。
彼は別な事に興味がが出てきた様で其方にシフトして行きました。一緒に起業と言う風にはならない感じですね。
別に喧嘩したわけでもないのでお互いに普通に電話したりはしてますけどね〜。
取り敢えず彼は、個人事業主としてIT分野の案件が沢山貰えたようで年収2000万は軽く超える仕事も見つかったようなんでそっちで頑張る見たい。
私はと言うと今のところ【起業】と言う気持ちが下がり気味になって、なんか気持ちも凹み気味でダメ人間真っ最中。
起業に向けて色々な本を読み漁っていたんですが、今はボケ〜ってしてます。本もなかなか読めなくなってきた感じ。
自分1人で考え過ぎて動けなくなる状態って感じでしょうか。
休職期間も半年を超え、見えない焦りが出てきた感じですね。
このまま、俺はダメ人間で終わってしまうんだろうか?俺ってそんなもんなのかな?
そんな気持ちです。
ただ、考え過ぎても馬鹿だから分からないのにね(笑)ただ、ビビってるだけだと思う。
と言う事で今は先ず色んな人に会ってみようかなって思って、セミナーに行く予定を作ったり、社長たちの集まりに誘って貰う機会などが出来たんで参加して見ようって感じてあまり考えずに行動だけはして見ようって感じですね。
後はネットで代理店募集で色んな案件はあるからそこで自分でも出来そうな案件を見つけて資料請求したりとかして過ごしているところです。
やっぱり【起業】には勇気、突破力が必要です。今の自分にはまだ、そこに覚悟が出来ていない感じかな。
ここ最近は本当にそんな感じで過ごしているダメ人間でした。
今回はここまで〜!
適応障害者の日々
会社に忙殺され、メンタルやられ【適応障害】と診断されて休職になってしまった私。
まさか、楽観主義者のこの私がメンタルやられるとは!
チームメンバーや上司、その他関わったことがある人々に衝撃が走ってみたいです(笑)
休職して暫くの私はまるで廃人のような状態でした。
兎に角、誰とも話したくない。それは妻も子供達でさえも・・・。
話し掛けられてもシカト。
まるで、自分にバリアーを張っていて、そこに踏むいる者は全て敵みたいな感じでイライラが止まらず、妻にも相当あたってしまっていました。また、そんな自分が嫌で自分を責めてしまうといった悪循環に陥っていました。
約1か月くらい経ってからは処方された薬のお陰もあり、家族とは少しずつ笑って話せるようになって来ました。
また、家に篭りきりではダメだと思い、ウオーキングも少しずつだけど始めました。
ウオーキングをしていると小さな発見がたくさんありました。空の青さや雲の動き、小さな花を見つけたり、近所にはこんなお家が建っているんだ等、仕事をしていたときには気にも留めなかったことを気付けるようになっていきました。
また、気分転換も兼ねて1人で東京に遊びに行ったりもしました。知らない街を1人で旅する事は凄く刺激的で良い気分転換が出来ました。自分の事を知っている人間がいない所に行くのは解放された気分になりました。
それから、今までロクに読書なんてした事ない私が読書をし始めました。
病院の先生にも読書しなさいって検診の度に言われていたんですがやっと重い腰を上げた感じですね。
最初は自己啓発本を読んでいました。【シンプルに考える】著 森川亮
些細な事ばかり、考えて悩んでいた自分には物事を客観的に捉えてシンプルに考えることの重要性を認識する事が出来ました。
それからはビジネスに関する書籍を100冊以上は読んだと思います。
また、自分の病気の事やメンタルヘルスにも興味が出て来たこともあり、資格を取ってみようかなって思えるようになって来ました。
そこで私が選んだ資格とは
【メンタルヘルスマネジメント】
と言う資格です。
内容はネットとかでも見ればすぐわかると思いますが、簡単に言えば企業と従業員のメンタルヘルスの重要性を理解するもの。
企業の守るべき法律関連や従業員のストレスの軽減や病気なった時の病院選びなんかですね。
興味を持った背景は自分をここまで追い込んだ会社の内情をしっかり把握する目的と自分のように病気になる人が出ないようにするにはどうすればいい?ってことを思って勉強しました。
自分の病気である適応障害の病状や他の鬱病などの症状の勉強にもなりました。
2か月間我ながらミッチリ勉強して無事に合格することが出来ました。
合格率は50%前後の資格なんで大した事はないですが初めて自分で取得したい資格を取ることは嬉しかったです。
疲れたので今日はここまで〜!
後輩に上司に飛ばされたダメ人間
という事で後輩に飛ばされた私は辺鄙なエリアに飛ばされました。超ど田舎でエリアは西日本でも一二を争う位広い所でした。
ふむ、まぁこっちもやり易いからまいっか(笑)的な感じでしたよ。
かなり前からそうなんですか私の担当エリアの前任者は仕事しなくて首になった人の後ばかりでした。まともなエリアになって引き渡し、その後に担当する人は出世するという伝説が出来上がる程です。
ちょうど成果を刈り取り始めた所で私はいつも移動させられ、また荒れたエリアに飛ばされ、後任が出世していく・・。
まぁ、会社からはある意味便利屋さんだったんだろうなと思います。
会社の評価は高めだったと思うけど出世しないタイプ。
仕事出来るけど出世しない人っていますよね?
まぁ、そんなタイプです。はい(笑)
ずっとそんな感じなんで、自分で諦めてた部分もあったのも事実。
飛ばされた先の上司は凄く良い人でしっかり仕事を見てくれる人で出世させて上げたいとハッキリ言ってくれる人物でした。
私も期待に応えようと思えた上司でした。
基本的に単純な人間なんで本気で出世する為の仕事をこなして行きました。
自身の課せられたKPIはモチロン頑張ってトップの成果を上げ、他者貢献として、チームのリーダー業務も引き受け、会議でのファシリテーションとして会議の運営も行いました。
無事にチームも全国でもトップクラスの成果を上げることも出来ました。
チーム運営の楽しさも歯痒さも味わいながら自分の成長も感じることが出来た。凄く充実した一年を送ることが出来ました。
全国会議のキックオフ会議でも1800人の前で壇上に上がり、営業手法などの講義的なものも任されるようになったんですが・・・。
出世したのは直属の上司だけでした(涙)
そのポジションに来たのは本社から来た年下の上司でした。
ふぅ、もう疲れたよパトラッシュ・・・。
マジ、そんな感じ。
暫くして、会社の組織変更がありました。
そして、また街中の担当エリアを任せられました。はい、また前任者は首になったエリアです(笑)
しかもエリアは今までの倍の件数の顧客を抱える事になりました。
曲者が多いエリアで前任者仕事してないから、データを整備したら全国で最下位のエリアでした。
なんだろう、曲者相手の商談をしながら仕事をこなしても終わらない。
成果も出せる自信が湧いてこない。
先の見えない仕事量。街中特有の渋滞。眠る暇すら無くなりました。
極度の緊張感でのストレス、渋滞にハマるストレス、終わらない仕事のストレス。
そして、身体とメンタルに不調をきたしだしました。
最初は朝の身支度時に必ず発熱する様になりました。
家に帰って来ると熱は下がる具合でした。
その症状とプラスして、睡眠障害も出る様になり、熟睡出来なくなり、朝方には目が覚めてしまう。
そして、商談先に行こうとすると強烈な胃痛も発症しました。
今度は人に会うことが億劫になってき始めました。
家でも喋ることも出来なくなってしまいました。
それが約1か月ほど続いてから初めて心療内科を受診することになりました。
診断名は【適応障害】
ストレスチェック上は完全に鬱状態とのことでしたがまだ、死にたいとか錯覚とかは見なかったので、適応障害と言う診断名になりました。
そして会社は休職となりました。
と言う事で今回はここまで。
ではまた〜〜!
某大手外資系企業での職務
さて、前回からの続きですが・・・めっちゃブログをサボってました(笑)
中々、ダメ人間は直りません。
ダメ人間ブログなんでお許し下さいまし。
前回の続きで職務内容の変化というところまで書いたと思います。
大きく変わった内容としましては、発注数量勝負って感じに変わりました。
まぁ、人参ぶら下げられて【何が何でも発注数量取ってこい!】みたいな感じです。
営業マン1300人が一生懸命に店舗に対して絶対売れないだろうという数量の提案をしていく異様な状態になっていき、それが常態化していきました。
私がやっていた事と言えば仲の良い店舗に無理言って取って貰うスタイルでした。
元々馬鹿げた提案数なんで他の店舗でマイナスになるのを見越して仲良い店舗に沢山発注してもらいまくりました(笑)
新製品が出る度に決まった店舗に無理な発注を頼み続けた・・・。
いつの間にか全国で1番の発注数量と1番の返品数量の二冠を達成(笑)
そりゃーそんだけ取らせたら返品も一杯でるわい(笑)
上司からはあんまりやり過ぎるな!って釘は刺されるわ、もっと上の人からも目をつけられるわで大変でした(笑)
っていうかお前らが沢山仕入れさせろって煽ったんでしょうが\\\٩(๑`^´๑)۶////
それから暫くたった時に大量発注はやめましょうだってさ(笑)
店舗の本部からクレームが来たらしい。
まぁ、明らかに売れない量を発注させてますからね。
それから、暫くは適正発注数で提案するように、強い圧力がかかり比較的に楽な営業になりましたが・・ほとぼりが冷めるとまた、大量発注しろだって(笑)
ったく、何がやりたいんだかわからんわ!
そんな感じでチョクチョク方針の変更が有りましたが、言うても他の会社に比べれば楽かなって思い続けていました。
そして、某特殊な新製品の投入により、組織が変化して行くのですが、それは今は爆発的な大ヒットしているとある機器です。
導入時の先行販売地区担当だった私は今までと全く違うスタイルの営業をする事となる。
今まではと言えばルート営業で既存客を相手に関係構築をして行く営業から新規飛び込み営業をしながらお客様に直販まで行うと言う具合に変化して行きました。
最初の導入時は何の商品も同じですが全く売れませんでした。
その月のノルマは100台!
1週間で私が販売したのは10台(笑)拉致があかん・・・。
と言う事で残り90台を一旦買い込み行商の旅に出る(笑)
今考えると何をそこまで一生懸命する必要があったかは分からないけど馬鹿なんで勢いでやっちゃった感じですかね。
多少自分が損してもいいやと思いながら定価を下げて個人売買しまくりました。
ふと、あるタイミングから紹介してくれる人がチラホラ出て来ました。
とある人は私に50人以上紹介してもらい、気付けば100台は達成してました。
そこからは私はただ、紹介して貰ったとこに行って売るだけだったので自分で営業しなくてもどんどん売れる様になり、気付けばNo1の販売数になってた。
俺ってスゲ〜かもって思ってました(笑)
しかし、出世してくのは私が教えていた後輩ばかり出世して行く(笑)
あの〜〜わたしは?っていつもの感じていました。出世欲はあまりなかったからアピール下手だったけど後輩や同期のメンバーは次から次へと出世していくのを見てるとヤッパリ凹みますよね。
そして、遂に後輩が私の直属の上司になる日が来ましたよ(笑)
お互いにやり難い。
2ヶ月後には私が飛ばされましたけどね(笑)
疲れたので今回はここまで〜。
ではまた、気が向いたら投稿しまーす。
某大手外資系メーカーに就職
生命保険会社から無事脱出出来た私は今度は外資系のメーカーに就職が決まりました。
何だろう?
地獄のような日々を送っていた生命保険会社から転職して来た私にとって新しい会社の楽さは!
研修では東京に1週間ほど泊りがけで基本的知識を学ぶ事で終了。
その後は担当エリアに配属され、先輩社員の方々と毎日同行して、仕事の大体の流れを教えて貰いました。
先輩も上司もめっちゃ優しい人ばっかりだ‼︎
やはり大手企業でルート営業だとこんなに違うのかと感激すらしました。
小売店を回ってポスター貼らせてもらったりするだけでこんなに給料くれるのか!って思いました。
今までは嫌な顔されるお客さんを説得させてモノを売ってきたのに・・・ここは、天国か?と思うくらいに楽チン。
そう、最初の1年目位までは・・・。
外資系の社長はコロコロ変わります。役員クラスも同じようによく変わります。
その都度、方針が変更され、職務内容も大幅に変わってきます。
社内のプロセスやPCや携帯もコロコロと変わります。
まぁ、覚えるのが凄い面倒なだけですけどね。
業務は流通商材ということもあり、新製品の導入以外では営業マンのチカラは計れないから担当エリアの良し悪しで評価も決まるところが大きいのと上司から気に入られるかどうかに全てが、掛かっているといっても過言では無いってのが納得が出来ないことも多々ありますが。
それでも過去の会社に比べれ、遥かにマシ。
就業スタイルも直行直帰だったので凄い自由だったのでよく、寝坊してましたが(笑)
ダメ人間にとって最高の居場所を見つけた感じです(笑)
ダメ人間ではあったけど仕事は要領良くこなすので帰りも早かったので家族も凄く喜んでました。
毎月、決まった金額の給料が振り込まれる喜びは心が癒されます。
年間の評価によって給料の昇級率は違うけど毎年必ず給料のベースアップも有りました。
仕事も勿論難しい場面も多々ありましたが安心して働けていたので私自身リラックスして商談できることもあり、評価は中々良かったと思います。
この会社に入社してから子供が3人になりました(笑)
3人目は酔っ払った勢いでできましたけど(笑)
入社して3年程経った頃から会社の方針が徐々に変わって来ました。
いままでは商品の取扱い率が評価指標だったのがプラスして発注数量も求めて来ました。
それが適正で、あればいいのですが、はっきり言って無茶振りの様な数字を追われる様になって行きました。
それから・・・。
長くなりそうなんで今回は、ここまで〜!
んじゃまた今度〜!